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35歳求職中の日記

35歳求職中の日々の記録です。

20170326

本日の記録

9:00起床する。メールをチェックする。プログラムの修正指示が来ていたので、なんとかモチベーションをあげるように努力するが、寒いのもあってなかなか布団からでられなかった。外は雨である。

13:00頃ようやく外出する。漫画喫茶で作業をして、16:00くらいにコメダにいってコーヒー。その後スーパーによって食材を仕入れる。

18:00帰宅。夕食を食べたり、風呂に入ったりする。amzonプライムで、楽園追放を観る。そういえばこの映画、公開されたときは仕事で観に行けなかった。映画は映画館でみるのが一番だが、上映期間中にチャンスがない場合もある。

twitterを眺めていると、ちらほら4月から就職や転職やらで、引っ越す人ちらほら見えた。

21:00〜SKYPEで友人と、別の友人の送別会のことで話ししたり、人生いろいろあるよね的な会話をする。

23:00頃就寝。明日はまた5:30頃おきなければなるまい。

 

 

20170325 下を向いて歩く

本日の記録

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9:00頃起床した。このところ朝が早かったので癖がついたかと思ったが、休みはやはり遅起きしてしまう。世間は3月はだいたい土曜日は出勤らしい。そんなことを思いながら家の前の喫茶店に朝食に行く。スーパーに食材の買い出しに行く。1030円くらい。3日はもつような気がする。13:00頃昼食に家に戻る。適当にネットを漁っていて、眠くなったので昼寝してしまう。

16:00くらいに栄の地下街に向かう。名鉄瀬戸線の前を通過して久屋大通駅の東急ハンズに向かう。12年くらい前、新卒で入った会社(前々職)で瀬戸市から名鉄瀬戸線で会社(昭和区)に向かっていた。だいたい毎日一緒の道なので、駅の通路は下を向いても歩ける。帰り道も駅から当時の自宅まで下を向いて歩けた。

高校時代、電車で隣の市の高校まで通学していた。いつからか女子をジロジロ見ていると嫌疑をかけられて、村八分的な高校生活を過ごした。半分は本当だが自分は友達が欲しかったというのが当時の心境だと思う。(じろじろ見ていたのは女子に限らず男子も見ていたと思う。)

それから街を歩くときは下を向いて歩くようになった。大学の時に名古屋(瀬戸市)に引っ越したがそれは続いた。街のショウウィンドウよりも駅の通路の床ばかり見ていた。幾年かたって伏見に引っ越した。都会に住むと下を向いてれば人にぶつかる。視線を上に向けていても、人を見ている嫌疑はかけられない。スマフォもできた。iPhoneを日本での初代機から買った。電車の中では本かスマフォを見てれば別に不審な人と思われなくなった。

東京に転勤してますますそれはなくなった。もう意識しなくても景色を堂々と見ていた。あの時の辛さはもう忘れることができた。

 

 

いや、嘘だ。あの時の辛さはあの時の辛さだ。覚えている。忘れようとしているだけだ。本当は思い出した上で、なんとかしたい。上手く言えないけど、決着をつけたい。他にも嫌な過去はある。そのすべてとは言わないけど。

 

2017年再び名古屋に戻ってきて、今日ふと栄町駅の改札口の前を通ってそんなことを思い出した。

ただそれだけの日。

 

 

 

20170322-24 いろいろ

記録

3/22まではアルバイトの現場だった。現場工事が遅れているため、自分の作業も遅れる。現場担当者はもう狼狽している。これがブラックってやつか、自分のいたときもそうだったなー。と思いながら現場で調整するも、なかなか上手くいかずまた宿題に。予定が立て込んでおり、次回は来週になる。

3/23は久々の休日であった。主にネットを漁っていた。アマゾンでルパン三世をまた観る。ルパンは安定して面白い。特に好きだったのがワルサーのやつ。ヒロインが死んでしまうところに当時はカタルシスを感じていたのだろう。夕方SKYPEで友人と話す。九州へ帰郷する別の友人の送別会についていろいろ話す。いっそ一緒に旅行にでも行きたいが、おっさん4人はちょっと気持ち悪い気がする。友人は九州へ戻ることを決めた。18年間名古屋に来ていた人が帰る決意をした。それはとても大きいことだったのだろう。自分は何も決めていない。移住したいと本気で思うようになった。できれば名古屋、実家付近、東京以外で。最期の地を探そう。海が見えるところかあるいは荒野。昔会社の研修(展示会参加)でラスベガスへ行ったことがある。その間に、グランドキャニオンにも行った。飛行機で向かっていた途中で下を見下ろしたとき、あたり一面荒野だった。あれを上から眺めた時に心を打たれたことを今思い出した。あんなところで大の字になって死にたい。イントゥ・ザ・ワイルドが思い浮かんだ。

3/24は栄付近をウロウロしていた。心が落ち着かなかった。何もかも火にくべたい。喫茶店を梯子した。考えもなしにコーヒーにお金をつぎ込んだ。仏教思想のゼロポイントを読んでいたが全然頭に入らなかった。こういう日は物語を読んだほうがいい。携帯でtwitterを眺めたりして過ごした。

 

20170321

本日の記録

アルバイトの現場が忙しく、なかなか日記を書く暇がない。明日までの予定。その後は請求書を作って送り、職探しの予定。

会社を辞めた時のこと

眠れないので、記録用に書く。

この記事を見た時、前の会社を辞めた時のことを思い出した。最終的な職業はAV機器の設置業者の施工エンジニア。業務内容は、施工管理・現場管理・システム設計・機器設定・調整・修理対応・メンテナンス・図面製作・タッチパネル/シーケンス制御プログラム製作。

note.mu

私は2016年に会社を退職した。退職直前ごろの事をあまり思い出せない。思い出したくないのかもしれない。部長や支社長、社長とも面談したがその時の話の内容ももう覚えていない。それほどまでに毎日意識が朦朧としていたような記憶はある。

中野駅から徒歩15分くらいのところに住んでいた。2013年に転勤してきた。その当初仕事は確かにキツかったが、東京は魅力的な都市で中野は住みやすい街だった。新宿も近い。東京の映画館は0時過ぎでもレイトショーを上映しており、大都会で働いている事に酔っていたんだと思う。仕事は工事系のエンジニア。現場へ赴くタイプの職業。繁忙期は忙しく、1ヶ月連続で休みなし、6時起床で24時帰り、というような生活であったが、人間関係は悪くなかった。当時から”緩い生き方”は魅力的に思っていたが、自分とは無関係だし、そうなる必要もないと思っていた。

おかしくなり始めたのは2015年の春からだったと思う。通常は2、3月が繁忙期で、それをやり過ごせば、振り休も取れるしリフレッシュして次は夏の繁忙期を迎える予定だった。しかしその年は新たに顧客を増やしたために、5月、6月と現場が続く事になった。企業としては当然だと思う。しかしもともと繁忙期を乗り切るには人数が少ない会社であったため、社員一人一人の負担は大きくなり、誰もリフレッシュなんてできない状態になりつつあった。結局9月の夏工事まで繁忙期が続いたようだった。

10月はそれほど忙しくはなかったが、ある客でメンテナンス関係のクレームが起こり、予定したほどは休めなかった。なによりクレームは精神的にしんどい。もちろん上司や営業担当も一緒に取り組んでくれたので救われていたが。

11月下旬、この時期に珍しく工事現場を受け持つ事になった。サブコン下の仕事で、現場は建築下で茨城の現場だった。建築系の現場はスケジュールが日々変更になり、そのあたりの管理が難しい。この物件はキツかった。タッチパネル式の制御プログラム製作が重かった。8:00の朝礼に向かう。現場が終わるのは17:30。そこから三鷹の事務所まで戻って片付けをし、別件の机仕事や事務処理などをしながら宿泊先へ行くという繰り返しだった。なによりこの現場は本設置や調整は建物が仕上がってこないと行えないので、年末まで待たなければいけなかった。その間タッチパネルの方を進めなければならなかったが、別件のクレームもありもはや気力がなかった。どうしてこんなに能力がないんだろう。なんとか動くようになるまで製作できたが、バグも残り年始早々に修正と、引き渡ししなければならなかった。この時上司に、この物件を以って退職希望を打ち明けた。

「とりあえず年末年始は休んでくれ。そしてゆっくり考えてくれ」との事だった。私はそれに従った。

年末年始はタッチパネルの事でいっぱいだった。精神的に休めなかった。その物件はなんとか引き渡しまで運べた。そして2月からの最大の繁忙期が始まった。退職の意思は一旦封印した。今度こそ4月からまともな時間(といってもこの会社は20:00までは見込み残業式なのだが)に帰宅できる生活になると思ったからだ。しかし3月は3週間くらい5:00起床-24時退社という状態が続いた。暗くなって、現場の越中島から銀座付近を車で通るとき、街の賑やかさと、歩いている人達の幸せそうな表情はもう眩しすぎた。

どうしてだろう。生きていくために働いているのに、働いていて死にそうになっている。

乗り切ったあとに4月に待ち受けていたのは、自分の中で最悪な物件だった。工事担当ではなかったが、前の件で辛かったタッチパネルのプログラムを受け持つ事になってしまった。サブコンとのやりとりがもうしんどかった。画面デザインから何から何までダメで自己嫌悪に陥った。仕事の成り立ちにも文句をつけるようになってしまった。他人が「できる」と引き受けたことを丸投げされた格好になったと感じた。誰も信用できなくなった。みんなが夜中や休日仕事をしないと成り立たない「会社」が憎くなってきた。こんな状態が「仕事があるだけマシ」なんだろうか?ビジネス社会そのものが殺しにきている敵に思えた。大手町近くの現場で働いていてもちっとも面白くなかった。

”緩い生き方”を紹介する本やブログに逃げるようになってきた。この物件は5月以降からが本番らしく、GWもほとんどプログラムばっかり考えて気が休まらなかった。他にも中小規模の物件がちらほらあった。相変わらず「明日の朝までに図面を描け」「月曜の朝一で」「映像が出ない。音が悪い。すぐ来てくれ」「土日に作業になった」というセリフが聞こえてくる。もう聞き飽きた。

「この働き方はない」

私はそう思って改めて退職を申し出た。支社長や社長と何度か話をしたが、内容は覚えていない。おそらく伝えようとしたことも伝えられなかったと思う。「どうしたら良くなるか」なんて考える余裕もなかった。職を失う不安よりも、今の胸の動悸や、眉毛の上あたりの偏頭痛が大きかった。

上記のタッチパネルの作業で退職まで有給はもらえなかった。そう、自分は突然消えちゃわずに退職した。代償として、正社員的な働き方をする自信はもう失くなった。上記のブログの話の中で穂村弘のエッセイが紹介されていた。

彼女の心のコップの水を溢れさせた最後の一滴は、ゴミの貼り紙だった。

と記事の著者は語っている。この部分で自分の場合は何がきっかけだったのかをふと思い出す。2016年の1月。土曜日に名古屋の本社で全社員参加の会議があった。夕方に新幹線で東京に戻ったとき、新宿で映画を見た。ガルパンの劇場版だった。

繁忙期の3月。当時の営業の一人にその見に行った事を話したら

「意外と余裕あるのかと思った」

と言われた。ショックを受けたわけではないが

「ああ、そうか。そう受け取られるのか。」と思った。脱力感があった。

 

 

 

そんなことを最近思い出した。それは名古屋に戻ってきて、最近バイトでこの会社の仕事をしているからだ。相変わらずこの時期は忙しいらしい。いろんな人から復帰を誘われた。半分は冗談交じりだが。でも私はいまでも当時のことを恐ろしく思っているのでそのつもりは毛頭ない。

忘れるなら忘れたい。「朦朧としていてよく覚えていない状態」の時のことを忘れられない。

私の未来はまだ不安だらけである。友人も少ない。家族(親、兄弟)とは疎遠になりつつある。親の老後も自分の直近も不安だ。

ももうあんな働き方はもうごめんだ。社会的にそれが甘えだとしてももう私は日本のビジネスモデルがもう怖くなってしまった。あの時に私の心のコップは確かに溢れた。しかし溢れたからといって、空になったわけではない。またすぐに溜まるようになる。ブラックな働き方から一旦距離をおいても自分はそう簡単に強くなれなかった。

 

この先何年かかけて、自分と向き合って生きたい。

 

 

20170319

本日の記録

9:00起床。昨日は19:00位まで現場のあと帰宅して友人とSKYPEで話していたので疲れてぐっすり寝ていた。どうやら友人が九州に帰るらしい。事業主だったが辞めて実家に帰るといったところ。自分も来月のために就職なりなんなり探さなければならない。気持ちは焦るが、それで行動して前回の転職でろくな結果にならなかったのでネットを見て鎮める。宿題のプログラムがあるが、あまり集中できそうにないので外へクリーニング店へ行くついでにカフェでコーヒーを飲む。今日は花粉がひどすぎる。アレグラ飲んでもくしゃみが止まらなかった。環境省だか地方自治体だか知らないが、花粉症は多くの日本人の人生に悪影響を与えているのだから、国益のために総力をあげて解決してほしい。

16:00位にようやくプログラムに取り掛かる。HTTPリクエストをどうやって送るかを調べていたがちっとも解決しなかった。英語ばかり出てきて、しかも同じ問題で悩んでいるような質問ばっかり見つかった。月曜日は会社の人がプロの人に質問してくれるらしい。この会社はこの時期日曜日も現場なので相変わらず忙しい。自分は22日で今回の件は終わりで途中成果に応じて支払いされるだろうが、社員は最後まで現場にいて、クローズさせなければならないので、昔そうだったことを思い出して眩暈を感じた。

いろいろな人から復帰を誘われるが(半分は冗談だと思うが)、改めて自分はこの仕事や働き方が向いていない気がした。ダメだ、どんどんマイナスな考えばかりが支配するようになってくる。そして自分は眉毛の上あたりに違和感がある症状が出てくる。もうやめよう。18:00とりあえずブレイクすることにして、コーヒーを飲みに行く。

20170317

本日の記録

6:00頃起床。お弁当を作る。6:50頃出発して現場へ向かう。愛知環状鉄道を約10年ぶりくらいに乗ってしまった。懐かしいな。8:30に待ち合わせの駅につく。車に乗せてもらって現場に着く。

20:00に現場が終わる。ちょっと疲れていて、書きたいことはあるが後日改めて書く。仕事のことじゃなくて、久しぶりにあった職人さん達と話してどうだったとかの話。

今23:30。明日も現場なので寝る。