35歳求職中の日記

35歳求職中の日々の記録です。

20170312

本日の記録

8:00起床する。スーツ2着ほどをクリーニングに出すついでに近くのSUBWAYへ朝食に。スーツ2着とパンツで¥2000位。そのあと大須へコーヒーを飲みに行く。若宮大通りを渡ろうとすると、マラソン大会をやっており、歩道橋まで遠回りする。大須の商店街に入るとマラソン大会と関係のない顔をした人々が、いつもと変わらずにまんだらけアメ横にたむろしていた。少しだけほっとする。思うに、都会になればなるほどに、自分のような濃密な人間関係を恐れる人種にとっては住みやすくなる。孤独で確かに寂しくなる時もあるが、それは人込みですれ違う人やカフェにいる人などでなんとかごまかせる。

11:30大須のスーパーで食料を買って12:00に帰宅する。最近タンパク質や脂質のものも食べないと、もやし体型が加速していくなあと感じた。やはり3食しっかり食べよう。

14:00位に近くの漫画喫茶へ作業をしに行く。追加の画面を落とし込んで、その個所のプログラムを書いていく段取りを考えてた。そういえば現場に入ることになるのでせめて精密ドライバーやら必要な道具を買っておくべきか考える。白シャツも脇のところが黄ばんできたし・・。収入が入ると思うとついつい考えてしまう。

17:00位に帰宅。amazonプライムでルパンの新シリーズを観る(峰不二子じゃないシリーズ)。ルパンシリーズはラジオみたいに音声を聞いているだけでも面白い。明日BOOKOFFへ行こうと思う。不必要な本を売りに行ってちょっと気分を晴らそう。

18:00夕食。餃子とにんにくの芽の炒め物と玄米。20:00頃ニートになる予定の友人とSKYPEで話す。近況を伝えた。お互いまたどこかで会えるだろう。そういえばもう九州へ帰る友人もいる。もう友人も少なくなってきたなあと思う。バイト先で久しぶりに会った人と会話して嬉しかったことを書いたが、いろいろな場所に友人がいて、適度な機会というか、「会いたくなったら会える」みたいな関係を本当は多く作りたい。上記に書いたような孤独のごまかし方は今後きっと辛くなる。孤独になるならなるで、きちっとそれは気持ちを処理して孤独になりたい。親子関係もそんな感じだ。経済的でも病気でも、誰かと依存しあいたくはない。必ず感情的になって不幸なことをしてしまうようなイメージしかない。自分は家が借金とかをしていた関係で多くの親戚と関係が冷え込んでしまったし、親の死後またぶり返しそうな気もしていて落ち着けない。そういう経験がある以上は自分が仮に家族を作ったとしても同じようなことをしてしまいそうな気がする。だからそういう関係は作るつもりはもうない。

一番いいのは小学校の時の友人みたいな関係。恋も経済も病気も気にせず、「また明日」とだけ言えばまた明日会えるような関係。それ以上でもそれ以下でもない。

23:00頃そろそろ寝る準備。明日の炊飯器のセットをした。

 

20170311

本日の記録

7:00頃起床。気分は悪くはなかった。カレーを作っていたので朝からカレーを食べる。午前中に伏見駅あたりをふらつく。今日は風が強く、花粉症がひどくなってきたので帰ることにする。

13:00頃まで就職サイトを巡回する。その後Amazonプライムで無料映画を漁っていた。眠くなたきて昼寝をする。このあたりあんまり記憶がない。

18:00頃夕食。再びカレー。今日は本当に何もしなかったなあ。日を無為に過ごすとはこのことだろうか。職に就いている頃ならば、「人生は何を成し遂げるものでもないなー」なんてことも言っていられたが、今はそうも言っていられない気もする。

23:00くらいまでネットを漁っていた。それにしても今日は寒い。3月も中旬だというのに。明日はアルバイトのプログラムを仕上げる予定。

20170310

本日の記録

5:30頃目が覚めた。昨日は2:00頃に寝たので睡眠時間はものすごく短いが、なぜか目覚めがよく、気分も悪くない。多分花粉症を薬で抑えているので、それもあると思う。しかし結局2度寝して10:00頃まで寝てしまった。我ながらヘタレだなーと思う。朝早く起きて行動したくない理由の一つに、マンションの壁が薄く、隣上下にうるさくなってしまうんじゃないかという理由。昔東京の部屋の時に引っ越し初日に、張り紙があって、「騒音注意してください。8:00から20:00まで守ってください。」みたいな注意書きがあって、それからどうも自分が出す音に対して萎縮してしまうようになってしまった。

朝昼兼用ご飯を食べて、12:00頃にバイト先へ向かう。プログラムの最終であとは現場で調整となった。前日のカメラ制御の部分を取り組む気力がなく、音量の方を実際に確かめるべく、ミキサーからスピーカーまでを仮結線し、音量の制御ができたことを確認する。NL4FXというノイトリックのコネクタを探す途中で4年ぶりくらいに会った人と会話したりする。新人だったころから可愛がってくれた人だった。思えば、新人とかの若い頃の方が、ベテランの職人さん達と仲良くなれる気がする。若いことはいいことだなーって思う。

17:00頃作業部屋の機器を片付ける。後回しにしていたカメラ制御に取り掛かる。ASCIIで入って来る文字列を16進数にどうにか変換して、さらに加算処理をしなければいけない。本場のソフトウェア系や組み込み系、web系の「プログラマ」と呼ばれる人たちなら造作もないことだけど、こちらは電気系、音響系上がりなので考えが煮詰まる。どうにか言語仕様書を読んで無事にできた。

21:00頃までやっていたら、また久しぶりな人が訪ねてきて、会話をする。お菓子をもらう。そういえばこの会社を辞めた直後は疲労もあって、もう誰とも関わりたくないような感じで人と話すのが億劫だったけど、最近は徐々に回復してきたなーって気がする。どちらかというと喋りすぎるくらい。適度に脳みそに刺激を与えないと「あー」とか「うー」としか喋れなくなるか、久しぶりに会話すると極端になってしまうんだなーって思った。

23:00頃に片付けて終了する。宿題が2つ残ったので来週の現場までに片付けるしかない。

偶然の問題

最近ふと思ったけど、「偶然に起きた不幸」って「偶然に起きた幸運」でないと帳尻が合わないと感じるなと思った。一方で「自分とか人工的に起きた問題」って「自分の力や人工的な力」に従って解決したいと思う。というかそれは多分自分の力で解決するしかない。でも「偶然に起きた不幸」を自分の力で解決する気になれない。なんか損をしているような気がする。例えば偶然に莫大な借金を抱える家に生まれたら、宝くじでも当たらないとやってられないような気がする。それとも自力でお金持ちになった方が何かを得られるのだろうか?でも少なくともそれまでは絶対に不幸を呪うんだろうなと思う。自分だったら。

遠藤浩輝の漫画「EDEN」に、「先天的に目の見えない人がいて、その人に『運が悪かった、諦めろ』って言っても納得しないでしょ」という場面があった。そういうことだなーって。じゃあどうやって偶然の不幸を解決するかというと思い浮かばないが、宗教なんかはそれを和らげる役割をもっているんだなーって思う。例えばインドのカーストなんかをそう思い浮かんで、「生まれつき不幸でも、頑張れば来世で上手くいく」みたいにして不満や不幸の受け皿になっているんだなーと思った。

けど現在の世界では、宗教でそういうのを受けられなくなってきたような気がする。それは今の人がすぐ不幸だと認識してしまうのとかもあるけど。

そうするとやはり「現代の人工的な力」によって解決するしかなくなる。宗教も人工的なものだけど。例えば目の見えない人ならなんとか医学を発達させるしかない。だとしたら最初から不幸と幸運のバランスなど取れていないのかもしれないし、バランスが取れていないことはそんなに問題じゃないのかもしれない。

自分で書いててよくわからなくなってきたので、この思考はもう破棄しよう。

25:30頃寝ようと思う。

 

 

 

20170309

本日の記録

7:00に起床。全く何もする気がない。起き上がれない。うだうだ11:00まで過ごす。朝ごはんを食べたほうがよかったかもしれない。求人の電話をする気になれない。もどかしい。

12:00頃気力を振り絞ってバイトへ向かう。

13:00到着。被制御機器の動作を確認していく。プロジェクタ、スイッチャー、ブルーレイはOK。カメラがどうも動かないので後回しにする。デジタルミキサーのコンフィグを貰ったのでプログラムに当てはめる。動作OK。20:00頃、カメラに再度挑む。
どうやらDIN8コネクタが奥まで刺さらない仕様で、無理矢理ケーブルの先を剥き差したら、RXが帰って来た。動作確認する。一部のコマンドがサポート外。よりによってパンチルトがabsoluteの位置指定しかない。最悪。
明日にする。23:00ごろ電車に乗る。久しぶりにこんな時間である。こういうのが嫌なので辞めたのに、と自分の思想と行動が一致できないことに萎え
る。

20170308

本日の記録

7:00起床。ご飯の後9:00頃、求人に電話した。募集は終わっていたらしい。落ち込んだがある意味プレッシャーがなくなってすっきりした。明日に違う求人を見つけまた電話しないといけない。その後11:00にモニターとブルーレイプレーヤーを引き取り業者に引き取ってもらった。

12:00にまんだらけに本を売りに行く。バイト先の担当者に電話をして、明日明後日に作業に伺うことを連絡する。動作検証の段取りをしないといけない。動かす映像音響機器の接続やら段取りをしないといけないな、と考えながら、栄の本屋によってから帰る。

15:00帰宅。16:00頃にふいに睡魔に襲われて寝てしまう。こういう時は寝覚めが悪い。頭は痛くないが、動悸が激しい。18:00に食料を買いに行き、19:00頃帰宅。

20:00ごろ友人とSKYPEで話す。契約が切れて無職になるらしい。しばらくはゆっくり考えるんだとか。

21:00日記を書く。考え事をしながらも、そろそろ寝ようと思っている。

自己責任

自己責任について考える。まずこの言葉は、他人に使わせると、たいていの場合防ぎきれない攻撃になる。まだ自分で使った方がいい。確かに自傷してしまい、立ち直れなくなる場合もあるが、他人に使われることによる他傷は、もうどうしようもないほどの強大なダメージを負うことが確定されている。ゆえに他人に使われる前に、その対策をしておかなければならない(がこれが難しい)。

次に自己責任という言葉が、「正しいか正しくないか」、「当てはまるか当てはまらないか」ということは少しおいておいて、「弱者に当てはめるとさらに殺傷能力を増す」という事を考えた。「自己責任だ!」という言葉を責任も取れない弱者に投げてしまえばそれはもう、全ての活力を奪っていく呪文と化す。責任をとれる強者であればそうはならない、当たり前である。問題は、大抵弱者に向けて投げられるのが「自己責任」という言葉である。「弱者」であることが悪いことになっている。「強くありたい」とは誰もが思っていることだろうし「強くなる」ことは正しいんだろうが、「弱者」という状態もしくは「強くなる」過程で躓いてしまうこともある。

岸政彦の「断片的なものの社会学」のあとがきに「私たちは、不幸であることも許されない」というようなことが書かれていた。この「不幸」には他の言葉も代入できてしまう。鬱、休息、、少数、・・・弱者

これは、日本人全体、あるいは社会そのものの「自己責任」なのだろうか。

もうよくわからなくなってきた。寝る。

 

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

20170307

本日の記録

9:00頃に起床。昨日遅くまで作業したのと、気温が寒かったのが原因なのだろう。気分が乗らないときは寒さのせいにする。11:00頃に朝昼兼用ご飯を食べて出かける。名古屋駅の方まで歩く。カフェドクリエで求人サイトを眺める。そろそろ応募しないといけないので、自分を追い込んで狙いを絞る。

17:00頃帰宅。2社応募手続きをする。電話応募になるので、明日の午前中にしようと思う。気分よ沈まないでくれ。履歴書と職務経歴書を準備する。その後家の不用品の回収をお願いする手続きをする。

21:00頃にこの日記を書いている。明日の電話のことで若干ナーバスになる。35にもなって、生きることや死ぬことを考えて怖くなっている。別に哲学をどうこう語る気ではない。自分より年下でもとっくに答えを見つけているように思える人もいる。怖い。人と関わるのが怖いくせに、独りでは寂しいものだ。圧倒的に無力を感じる。

電話さえ終わってしまえばと思うように考える。明日の自分に任せるしかない。

そういえば全然関係ないが、過去を思い出していくと、自分が犯した罪について考えていくようになる。逮捕されるような犯罪はしていないが、子供のころに誰かの悪口を言ったり、からかったことはある。自分はどちらかというと内向的で、いじめられて(いじられて)いたという印象ばかり残っていたが、冷静に考えると罪も犯してきた。

「自分は何も悪いことをしてきていないのに・・なぜこんな目に」と思ったことが多々ある。でも事実は悪いこともしてきた。今更どうすることもできないし、何かの因果に結び付けることも意味を成さない。

「物語の終わりが好きだ」という言葉をどこかで見たことがある。自分もそう思える時がある。終わればすべてのプラスマイナスが0になり、安心できる気がする。そういうのを自分の感情にも求めているような気がする。いつかそうなることを願って。

20170306

本日の記録

7:00起床。燃えるゴミを捨てる。インターネットをみながら朝食を食べる。鍋の残りの最後。今日は午前中断水らしいので外へ出かける。いつものドトールで転職サイトをチラホラ見る。もう若くないんだなーって思う。いや違う。もう若くない、と人からはそう見られるんだなと思う。これでも前々職を辞める寸前よりも健康になっているのに。自分に自信がない人はダメだって言うけど、どうしようもなく自信がない時は確かに存在する。そんな時は気分が上がるのを待つ。大抵夜には気分が回復する。

12:00自宅に戻ってお昼(250円弁当)を食べた後、13:00バイト先へ出発する。また一人二人懐かしい人が作業部屋へ来たので談話したりする。人手不足らしいので、外注でもいいからここに残って仕事をしないかと、ありがたいような話を聞く。だけどそれでは辞めた意味が無くなってしまう。「あの時の自分」に誠実になれなくなってしまう。「今の自分」が「あの時の自分」を卑下してしまう。そうすると「あの時の感情」がまた腐って溜まっていってしまう。忘れたふりをして忘れていないので思い出すたびに吐きそうになる。

20:00頃まで作業させてもらった。退出し駅へ向かう。地下鉄では座れる。そういえば昔東京に住んでいた時は、中央線 ・総武線で帰っていたんだけど、終電やその間際の2、3本よりも22:00とかそこいらの方が空いていたことを思い出す。東京は一人で暮らしていくには良い気がする。人が多いし根暗でも変人でも混ざってしまって浮かないし。でもそれは酔っ払っているのと同じで、醒めた時にものすごい落ち込みが襲ってくる。

24:00までインターネットをだらだら見たり、岸政彦の「ビニール傘」を読んだりしていた。「どうしようもなさ」をありのままに書いていて、むしろ清々しかった。なぜかカタルシスは感じなかったがそのほうがいいんだろう。

明日は今回の作業の見積書やら、本を売ったり、粗大ゴミの手配をしたりしなくては。