35歳求職中の日記

35歳求職中の日々の記録です。

20170310

本日の記録

5:30頃目が覚めた。昨日は2:00頃に寝たので睡眠時間はものすごく短いが、なぜか目覚めがよく、気分も悪くない。多分花粉症を薬で抑えているので、それもあると思う。しかし結局2度寝して10:00頃まで寝てしまった。我ながらヘタレだなーと思う。朝早く起きて行動したくない理由の一つに、マンションの壁が薄く、隣上下にうるさくなってしまうんじゃないかという理由。昔東京の部屋の時に引っ越し初日に、張り紙があって、「騒音注意してください。8:00から20:00まで守ってください。」みたいな注意書きがあって、それからどうも自分が出す音に対して萎縮してしまうようになってしまった。

朝昼兼用ご飯を食べて、12:00頃にバイト先へ向かう。プログラムの最終であとは現場で調整となった。前日のカメラ制御の部分を取り組む気力がなく、音量の方を実際に確かめるべく、ミキサーからスピーカーまでを仮結線し、音量の制御ができたことを確認する。NL4FXというノイトリックのコネクタを探す途中で4年ぶりくらいに会った人と会話したりする。新人だったころから可愛がってくれた人だった。思えば、新人とかの若い頃の方が、ベテランの職人さん達と仲良くなれる気がする。若いことはいいことだなーって思う。

17:00頃作業部屋の機器を片付ける。後回しにしていたカメラ制御に取り掛かる。ASCIIで入って来る文字列を16進数にどうにか変換して、さらに加算処理をしなければいけない。本場のソフトウェア系や組み込み系、web系の「プログラマ」と呼ばれる人たちなら造作もないことだけど、こちらは電気系、音響系上がりなので考えが煮詰まる。どうにか言語仕様書を読んで無事にできた。

21:00頃までやっていたら、また久しぶりな人が訪ねてきて、会話をする。お菓子をもらう。そういえばこの会社を辞めた直後は疲労もあって、もう誰とも関わりたくないような感じで人と話すのが億劫だったけど、最近は徐々に回復してきたなーって気がする。どちらかというと喋りすぎるくらい。適度に脳みそに刺激を与えないと「あー」とか「うー」としか喋れなくなるか、久しぶりに会話すると極端になってしまうんだなーって思った。

23:00頃に片付けて終了する。宿題が2つ残ったので来週の現場までに片付けるしかない。

偶然の問題

最近ふと思ったけど、「偶然に起きた不幸」って「偶然に起きた幸運」でないと帳尻が合わないと感じるなと思った。一方で「自分とか人工的に起きた問題」って「自分の力や人工的な力」に従って解決したいと思う。というかそれは多分自分の力で解決するしかない。でも「偶然に起きた不幸」を自分の力で解決する気になれない。なんか損をしているような気がする。例えば偶然に莫大な借金を抱える家に生まれたら、宝くじでも当たらないとやってられないような気がする。それとも自力でお金持ちになった方が何かを得られるのだろうか?でも少なくともそれまでは絶対に不幸を呪うんだろうなと思う。自分だったら。

遠藤浩輝の漫画「EDEN」に、「先天的に目の見えない人がいて、その人に『運が悪かった、諦めろ』って言っても納得しないでしょ」という場面があった。そういうことだなーって。じゃあどうやって偶然の不幸を解決するかというと思い浮かばないが、宗教なんかはそれを和らげる役割をもっているんだなーって思う。例えばインドのカーストなんかをそう思い浮かんで、「生まれつき不幸でも、頑張れば来世で上手くいく」みたいにして不満や不幸の受け皿になっているんだなーと思った。

けど現在の世界では、宗教でそういうのを受けられなくなってきたような気がする。それは今の人がすぐ不幸だと認識してしまうのとかもあるけど。

そうするとやはり「現代の人工的な力」によって解決するしかなくなる。宗教も人工的なものだけど。例えば目の見えない人ならなんとか医学を発達させるしかない。だとしたら最初から不幸と幸運のバランスなど取れていないのかもしれないし、バランスが取れていないことはそんなに問題じゃないのかもしれない。

自分で書いててよくわからなくなってきたので、この思考はもう破棄しよう。

25:30頃寝ようと思う。