35歳求職中の日記

35歳求職中の日々の記録です。

20170309

本日の記録

7:00に起床。全く何もする気がない。起き上がれない。うだうだ11:00まで過ごす。朝ごはんを食べたほうがよかったかもしれない。求人の電話をする気になれない。もどかしい。

12:00頃気力を振り絞ってバイトへ向かう。

13:00到着。被制御機器の動作を確認していく。プロジェクタ、スイッチャー、ブルーレイはOK。カメラがどうも動かないので後回しにする。デジタルミキサーのコンフィグを貰ったのでプログラムに当てはめる。動作OK。20:00頃、カメラに再度挑む。
どうやらDIN8コネクタが奥まで刺さらない仕様で、無理矢理ケーブルの先を剥き差したら、RXが帰って来た。動作確認する。一部のコマンドがサポート外。よりによってパンチルトがabsoluteの位置指定しかない。最悪。
明日にする。23:00ごろ電車に乗る。久しぶりにこんな時間である。こういうのが嫌なので辞めたのに、と自分の思想と行動が一致できないことに萎え
る。

20170308

本日の記録

7:00起床。ご飯の後9:00頃、求人に電話した。募集は終わっていたらしい。落ち込んだがある意味プレッシャーがなくなってすっきりした。明日に違う求人を見つけまた電話しないといけない。その後11:00にモニターとブルーレイプレーヤーを引き取り業者に引き取ってもらった。

12:00にまんだらけに本を売りに行く。バイト先の担当者に電話をして、明日明後日に作業に伺うことを連絡する。動作検証の段取りをしないといけない。動かす映像音響機器の接続やら段取りをしないといけないな、と考えながら、栄の本屋によってから帰る。

15:00帰宅。16:00頃にふいに睡魔に襲われて寝てしまう。こういう時は寝覚めが悪い。頭は痛くないが、動悸が激しい。18:00に食料を買いに行き、19:00頃帰宅。

20:00ごろ友人とSKYPEで話す。契約が切れて無職になるらしい。しばらくはゆっくり考えるんだとか。

21:00日記を書く。考え事をしながらも、そろそろ寝ようと思っている。

自己責任

自己責任について考える。まずこの言葉は、他人に使わせると、たいていの場合防ぎきれない攻撃になる。まだ自分で使った方がいい。確かに自傷してしまい、立ち直れなくなる場合もあるが、他人に使われることによる他傷は、もうどうしようもないほどの強大なダメージを負うことが確定されている。ゆえに他人に使われる前に、その対策をしておかなければならない(がこれが難しい)。

次に自己責任という言葉が、「正しいか正しくないか」、「当てはまるか当てはまらないか」ということは少しおいておいて、「弱者に当てはめるとさらに殺傷能力を増す」という事を考えた。「自己責任だ!」という言葉を責任も取れない弱者に投げてしまえばそれはもう、全ての活力を奪っていく呪文と化す。責任をとれる強者であればそうはならない、当たり前である。問題は、大抵弱者に向けて投げられるのが「自己責任」という言葉である。「弱者」であることが悪いことになっている。「強くありたい」とは誰もが思っていることだろうし「強くなる」ことは正しいんだろうが、「弱者」という状態もしくは「強くなる」過程で躓いてしまうこともある。

岸政彦の「断片的なものの社会学」のあとがきに「私たちは、不幸であることも許されない」というようなことが書かれていた。この「不幸」には他の言葉も代入できてしまう。鬱、休息、、少数、・・・弱者

これは、日本人全体、あるいは社会そのものの「自己責任」なのだろうか。

もうよくわからなくなってきた。寝る。

 

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

20170307

本日の記録

9:00頃に起床。昨日遅くまで作業したのと、気温が寒かったのが原因なのだろう。気分が乗らないときは寒さのせいにする。11:00頃に朝昼兼用ご飯を食べて出かける。名古屋駅の方まで歩く。カフェドクリエで求人サイトを眺める。そろそろ応募しないといけないので、自分を追い込んで狙いを絞る。

17:00頃帰宅。2社応募手続きをする。電話応募になるので、明日の午前中にしようと思う。気分よ沈まないでくれ。履歴書と職務経歴書を準備する。その後家の不用品の回収をお願いする手続きをする。

21:00頃にこの日記を書いている。明日の電話のことで若干ナーバスになる。35にもなって、生きることや死ぬことを考えて怖くなっている。別に哲学をどうこう語る気ではない。自分より年下でもとっくに答えを見つけているように思える人もいる。怖い。人と関わるのが怖いくせに、独りでは寂しいものだ。圧倒的に無力を感じる。

電話さえ終わってしまえばと思うように考える。明日の自分に任せるしかない。

そういえば全然関係ないが、過去を思い出していくと、自分が犯した罪について考えていくようになる。逮捕されるような犯罪はしていないが、子供のころに誰かの悪口を言ったり、からかったことはある。自分はどちらかというと内向的で、いじめられて(いじられて)いたという印象ばかり残っていたが、冷静に考えると罪も犯してきた。

「自分は何も悪いことをしてきていないのに・・なぜこんな目に」と思ったことが多々ある。でも事実は悪いこともしてきた。今更どうすることもできないし、何かの因果に結び付けることも意味を成さない。

「物語の終わりが好きだ」という言葉をどこかで見たことがある。自分もそう思える時がある。終わればすべてのプラスマイナスが0になり、安心できる気がする。そういうのを自分の感情にも求めているような気がする。いつかそうなることを願って。

20170306

本日の記録

7:00起床。燃えるゴミを捨てる。インターネットをみながら朝食を食べる。鍋の残りの最後。今日は午前中断水らしいので外へ出かける。いつものドトールで転職サイトをチラホラ見る。もう若くないんだなーって思う。いや違う。もう若くない、と人からはそう見られるんだなと思う。これでも前々職を辞める寸前よりも健康になっているのに。自分に自信がない人はダメだって言うけど、どうしようもなく自信がない時は確かに存在する。そんな時は気分が上がるのを待つ。大抵夜には気分が回復する。

12:00自宅に戻ってお昼(250円弁当)を食べた後、13:00バイト先へ出発する。また一人二人懐かしい人が作業部屋へ来たので談話したりする。人手不足らしいので、外注でもいいからここに残って仕事をしないかと、ありがたいような話を聞く。だけどそれでは辞めた意味が無くなってしまう。「あの時の自分」に誠実になれなくなってしまう。「今の自分」が「あの時の自分」を卑下してしまう。そうすると「あの時の感情」がまた腐って溜まっていってしまう。忘れたふりをして忘れていないので思い出すたびに吐きそうになる。

20:00頃まで作業させてもらった。退出し駅へ向かう。地下鉄では座れる。そういえば昔東京に住んでいた時は、中央線 ・総武線で帰っていたんだけど、終電やその間際の2、3本よりも22:00とかそこいらの方が空いていたことを思い出す。東京は一人で暮らしていくには良い気がする。人が多いし根暗でも変人でも混ざってしまって浮かないし。でもそれは酔っ払っているのと同じで、醒めた時にものすごい落ち込みが襲ってくる。

24:00までインターネットをだらだら見たり、岸政彦の「ビニール傘」を読んだりしていた。「どうしようもなさ」をありのままに書いていて、むしろ清々しかった。なぜかカタルシスは感じなかったがそのほうがいいんだろう。

明日は今回の作業の見積書やら、本を売ったり、粗大ゴミの手配をしたりしなくては。

 

 

 

20170305

本日の記録

9:00起床。インターネットをだらだら閲覧した後、名古屋駅へ買い物へ。タワーズの11Fの書店がいつの間にか東急ハンズに浸食されていた。思ったのだが、都会だったらいっそAmazon自体が店舗を構えて、客がそこに商品を取りに行くシステムにしてはどうだろうか。

12:00位に帰宅。昨日の鍋の残りを食べて、14:00頃近くの漫画喫茶へ向かう。アルバイト作業を行う。画像を分割し、強引にアニメーションを作る。このタッチパネルに直接動画を埋めたりできない。時間差で画像を入れ替えるという手段にでる。こういう表現が正しいかはわからないが。

18:00頃帰宅。夕飯を食べる。お昼ご飯+はまちの刺身。そろそろ真剣に求職しないといけない。春が来て、気温も上がってきたので朝の時間をもう少し使うように計画を立てる。

就職にしろ移住にしろ、「人を説得させなければならない」という過程が発生する。当たり前である。見ず知らずの人間を迎え入れてくれはしない。わかっているのだがもっと簡単にいけばいいのになと思う。

親子関係とか雇用・被雇用とか、社会保険やら、支える/支えられているの関係はどうも苦手だ。遠い将来のことも考えたくない。20歳になったら、借金も財産も、恩も恨みも全て消えて引き継がれないようになっていて、身軽になれるシステムがいいな。あと安楽死法と寿命を設定するシステム。

極端なことばかり考えてしまう。ダメだ。こういうときは読書して本から一方的な情報を与えられた方がいい。

21:15頃就寝準備。

 

20170304

本日の記録

9:00頃まで寝ていた。3月に入ったというのに寒い。洗濯をしつつ、玄米を一杯食べてからドトールへ。買い物をして帰る。食品に、電球。朝の栄の街をふらっと歩く。この辺は住んでみて半年くらいだが、生活する分には困らない。夜は確かに呼び込みが多くて煩わしいこともあるが、それほど危険は感じない。むしろ名古屋駅から1、2路地離れた辺りの方が怖く感じる。

昼間はネットをみて過ごす。ばらかもんをまた読み返す。本を読んでいると、近い未来にしなければならないことを思い出す。日常品の買い出しから職探し、引越しに向けた不用品の処分方法など。

帰宅後野菜を適当な大きさに切っておく。こうすると日々の調理がすぐにできていい。夏はダメかもしれない。

18:00-19:00頃まで不覚にも眠ってしまう。特に夢はみなかった。

19:30夕飯を食べる。ちゃんこ鍋の素に具を入れたいわゆる鍋物。ドラフトギネスビールを飲む。その後またインターネットをだらだら見る。

22:00頃友人から電話が入り、久しぶりに話す。23:00頃話終わる。

なかなか寝付けず、26:30頃まだこの日記を書いていた。

 

20170303

本日の記録

本日は午前中からバイト先へ出勤なのでウダウダもしてられなかった。9:00に着替えて作業場に向かう。暖かく、歩きやすい気温になってきた。今のところ花粉症はでてきていない。珍しい。

そのあとひたすらプログラムを修正していた。また懐かしい人(同年齢の営業)と話す。特に今やってる物件の、音響やらについて話した。特に自分の状況とかは別に聞かれなかったので、気楽に話した。仕事の会話は、自分のプライベートや醜い部分をわりと話さなくていいので楽だなと思った。反町の「言いたいこともいえないこんな世の中じゃ」は確かに不幸であるが、BLANKEY JET CITYの「言いたいことなんてこれっぽっちもありゃしない、知っているさみんなただの寂しがりや」も核心をついている気がする。会話をしようとして会話するんじゃなくて、何か作業しながらとか、食事しながらとかそういうあまり中身のない、別に言いたいことがあるわけではない会話でもいいかもしれない。ただ本当に誰とも話さなくなるのはまずいと思っていた。自分は一人で思考がぐるぐる回り出して止まらなくなるので、布団からなかなか出られない冬の朝の精神状態はかなりまずいことになっている。

20:00頃まで作業をさせてもらったが、ちょっと詰まっていたところが解決できてよかった。担当者に聞こうと思っていたが現場で不在だったので、英語のマニュアルみて自力でなんとかできた。

バイトをやっているとはいえ、自分の問題を解決していっているかというとそうではない。だけど、ただ悩んでいるだけでは何も進まない気がしてきた。昔を思い出して辛くなったり酔いしれてしまっても、吐いてしまわないと忘れることはできない。臭い記憶は蓋をせずに嗚咽して外に流してしまおう。